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少年隊 に参加中!
私の約3年半の芸能活動の中で最も輝いていた時期に相当するのがこの少年隊とのツアー同行であったろう。当初は会場も都内の厚生年金やら郵便貯金やらが多く、移動はもちろん自腹での電車通勤だった。

そのうち少年隊がブレークし始め、それと反比例するかのように同行するJr.の数は絞られていった。最終的には当時イーグルスだった大沢と内海を加えたJr.8人構成で全国を回った。活動当初はJr.の数も2〜30はいただろうか。名古屋などに行くときは大型バスに乗り、現地のホテルは大広間に雑魚寝というスタイルだった。

それが最終的には全日空ホテルのシングルまたはツインに泊めてもらえるようになっていったのだからその待遇の違いは雲泥の差だ。その頃になるとパンフレットに自分たちの名と写真も出るようになり、少しずつ自分が全国区になっていく実感を得られていた。私の場合は、その頃にはテレビドラマのレギュラーも決まり始め、いよいよ次は自分の番が近づいてきたと野心を持ったものだった。

それが、自らの首を絞めていくことになろうとは夢にも思っていなかった。

いや、野心を持つこと自体はすばらしいことだ。しかし、私は致命的なミスを犯していた。天狗になってしまっていたことだ。

当時の私は自分のポジションを的確に把握していた。明らかに次のグループに名を連ねることは明白と信じていたし、恐らく動き方さえ間違わなければそうなったであろう。

しかし、当時の私は自分で自分をプロデュースする意識に囚われていた。今風に言えば自分はもはや勝ち組だ、ダンスの才能に溢れた錦織君や跳躍力に優れた東君には劣っても、跡を継ぐものとして確固たる自信を持っていた。次のアイドル番組のレギュラーも決まっていたしあとは羽ばたくだけだと思っていた。

しかし、そこには傲慢さがあった。今にして思えば、確実に天下を取るまでは常に謙虚でかつ自己PRを怠らないしたたかさが求められていたにもかかわらず、社長や当時のデスク(マネージャーのような人)にわがまま放題だった。当時の少年隊のバックダンサーが新しいグループを作ることは目に見えていたが、自分の目にはそれが成功するとは映らなかった。そこでこともあろうに「コンサートを降りてドラマ1本でやっていきたい、ギャラも今のままでは少なすぎる」と事務所や社長に食って掛かったのだ。そんな勝手なことは10年早い、と一喝されたのを今でもはっきりと覚えている。

それが原因で、私はすべての立場を失った。決まっていたドラマも降板させられ、ツアーからもはずされた。事務所は社長に詫びを入れるべきだと仲を取り持とうとしてくれていたが、当時夜間高校3年生だった私は、将来のことも考え、学校をとり、ジャニーズから去っていったのだ。