ジャニあっく!

ありがたくも満足感に溢れてこのブログは更新を終了いたしました。「昔のジャニーズはよかったな〜」と思われる方、特に新しくいらした方は、ぜひ第1投稿含めお好きなところからお読みください!

2006年02月

ジャニーさんを通さなかった仕事その1

やっと合間を見つけて更新できます。ちょっと今仕事関係でごたごたしてて(そんなに悪い意味でもないけど)前のようになかなか更新できないけど頑張ります!

さて今日はちょっと珍しい話。

ジャニーズの仕事はすべて当然のことながらジャニーさんから基本的には回ってくる。ジュニアは間違いなくそうだろう。マネージャーがつくようになれば、そのマネージャーが仕事を取ってくることやオファーが入ってくることもあるだろうが、ジュニアは

1、ジャニーさんから直接電話が入って仕事をさせてもらう。

2、ジャニーさん→一定レベルのジュニアをまとめて担当する事務所のデスクから仕事が回ってくる。

3、ジャニーさん→自分専門の担当のデスクから仕事が回ってくる。

といったステップアップでジュニアの仕事は動いていた。もちろんこれは当時の話だが。そういうわけで、たとえどんなに小さな仕事でも、基本的にはすべてジャニーさんを通って仕事というものは回ってくる仕組みになっていた。これ以上のレベルになるともうグループデビューなりCDデビューなりのレベルになるのでマネージャーがつくのである。私の場合はこれでいえば3レベルだった。

つまり、ジュニアレベルでは自分の希望で仕事を選んだり取ったりは出来ないのが基本であり、初めのうちはノーギャラの場合も多い。まあ芸能界なんてところはどこでも似たようなものだから、下っ端のノーギャラなどというものは驚くようなものではない。むしろ、出させてもらえることに感謝しないといけない立場なのである。そうやって這い上がって最終的にスターになりさえすればポルシェだのフェラーリだの好きな車にだって乗れるようになるのだから。

前置きが長くなったが、実はそんな環境の中で私は2回、まったくジャニーさんを通さないで仕事をしたことがある。今回はその1つ目のお話である。

これは「ヤンヤン歌うスタジオ」のドラマレギュラーをやっていた時のことである。私が頂いた仕事はヤンヤンの中でもあくまで「ドラマ」コーナーに限ったもので、その他のコントのコーナーは担当外だった。強いて言えば、少年隊がまだデビュー前だったが、よく歌番組に出たりしていたので、ヤンヤンでもそのバックとして出たことはあるが、これはもちろんデスクを通した仕事なので通常通りのものだ。

あるコントのコーナーを撮影している時だった。私は出番待ちで時間が空いていたので、スタジオの隅で何気なく見学していた。以前にも書いたが、私にはマネージャーがいないので仕事の時はいつも一人で行く。だから空き時間は思いのほか自由が利いた。この時もそうだった。単に暇だから覗いていただけだった。

コントはオオカミ少年がテーマだったが、まあ内容はほとんど関係なく、単に10人くらいの出演者(このときジャニーズは誰もいなかった)が集まって(栗田貫一さんがメイン)、曲が流れてみんなで踊ろうとするのだが、変な曲が流れて「これじゃ踊れない、こういう曲じゃなくちゃ!」といって洋楽(ゴーストバスターズ)が流れてようやくみんな楽しく踊れる。そこにあのねのねさんが絡んできて…というものだった。

と、そこで簡単なリハーサルをしてすぐ撮影、という段階だったのだが、サブから突然ディレクターの声がして
「おい(monmon)!そこにいるのか?」
と言われた。びっくりして
「はい、見てます!…邪魔だったですか?」
「お前いるならちょうどいいからセンターで踊れ。適当でいいから!」
「ええっ?!いや、そんなことしていいんすか?!」
「できんだろ!やれよ。」
その場のみんなも出ちゃえ出ちゃえ、みたいな空気になってしまい、思いっきり普段着だったのだが(もともとドラマも私服ではあったが)まるで盆踊りの輪に引き込まれるような勢いで有無を言わさず「はい本番!」のコール…

で、ゴーストバスターズを入りのきっかけにしてみんなの前のど真ん中に立ち、ピンで10秒くらいアドリブダンスをしたのだ!そしてそのまま輪の中に混じってコントの終わりまで出てしまった。後でオンエアを見たら、客なしの撮影だったにもかかわらず、私のダンスのためだけに拍手の効果音まで入れてくれていた。テレビでダンスをしたのは数え切れないが、この時ほどハッキリと、長く自分のダンスが放送されたことは後にも先にもない。というよりも、完全に自分のダンスのためだけの10秒間が公共放送で流れたのだ。正直言って、ジャニーズ活動の中で最も嬉しかったのはこの時である(笑)。ちなみに、ジャニーさんからも事務所からもこの件については何も言われなかった。もちろんギャラも出てないが。

おまけ:これを書いていて、そういえばもうひとつ勝手にやったことがあるのを思い出した。まあこれはたいしたことではないのだが、ヤンヤンの最後のエンドロールの部分はその日出演した歌手やタレントが卒業写真のように段々に座って「また来週〜」とやるのだが、そこにも勝手に混じって出たことがある。大物アイドルなどもたくさん出る中に混じって出てしまったので嬉しさ半分恐縮半分、という感じだった。


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24日の会は中止にします(改訂版、ネタ入れました)

前回告知させていただいた「生monmonを見物する会」は天候不良が予想されるため中止とさせていただきました。もし行こうと思ってらっしゃった方が居られましたら、申し訳ございません。私もせっかくなので懐かしい証拠品など皆さんにお見せしようと考えていたのですが…残念です。お悩み相談は今後も変わらず続けていく所存ですので、お気軽にどうぞ。

さて今日はレッスン場の話をしましょう。
今、ジュニア達はどこでレッスンをしているか、全然知りません。なので恐らく、ですが、僕らの頃のほうがファンの方々にとってはいい環境だったのではないかと思っているんです。

当時は、レッスン場は必ずテレビ朝日の第1リハーサル室または第3リハーサル室で行われていました。実はこのリハーサル室、テレビ朝日の通用門のすぐ目の前にありました。そして、通用門の前までは誰でも立ってられました。ですから、ファンの子達は通用門の前に陣取ってジュニア達を出迎え(?)ていられたのです。入ったばかりの頃は彼女達の視線がこれがけっこう怖いもので…(笑)逆に「すみません…」とかいいながら低姿勢になって中に入ったものです。

そして数時間後休憩に入ると、たいてい局内のレストランで飲み物を飲んだりしていました。当時はまだペットボトル飲料などなかったですから。で、そのレストランに移動する時にまたファンの子達はジュニアを簡単に見ることが出来たのです。ちょっと声をかければ十分聞こえるくらいの距離でしたね。

そして、帰る時も同じ通用門から帰るので、待ってられるファンは1日に3回ジュニアを見ることが出来、そのうち出入りの時は自由に喋りかけたり物を渡したり出来る環境でした。でもその割には、きっとファンの中にも暗黙の了解があったのか、意外にも帰りについてくる子はほとんどいなかったのを覚えています。まあごくたまに家まで来ようとするファンもいるようでしたし、実際僕もそういうときがありましたが、そういう時は丁重にお願いしてお断りしました。大抵はそれで分かっていただけます。

ある程度売れ出してからもその雰囲気は変わらず、あんまり家で困ったことはなかったですね。1回親戚を装って交番で家を聞き出されたことはありましたけど…(^^;)

まあ今はテレビ朝日も六本木界隈も様変わりしたので、昔と同じことはないと思います。全然違うところでやっているのかなあ…

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さて、困りました!

皆さん、申し訳ありません!ここまで頑張ってきたのですが、ついに皆さんに興味を持って読んでいただけそうなネタが無くなって来てしまいましたやっぱり3年半程度のキャリアにしては一辺に書きすぎちゃったかもしれません…このところ毎日700人ペースでご来訪頂いている方々のほとんどはジャニーズの中にいた人しか分からない話に興味を持って来て頂いていると思います。

まあ、まだ完全にネタがないわけではありませんが、何も私から聞かなくても皆さんすでに知っていそうなことが多そうで…

でも、コメントを読ませて頂いていると何人かの方たちは私自身にも多少の興味を持っていただけているような気がしています。あくまで元ジャニーズということで。そこでちょっと考えたのですが…調子に乗っているのは重々承知の上で、

「生monmonを見物に行ってみる会

なるものを企画してみようかと思いました。そこではブログではまだ書いていないような、もっと突っ込んだ話とか、皆さんの現在のファンの心理や応援の仕方など語り合う場にしてみたい、または皆さんの自慢の宝物などあればみんなで見せ合ったり…オフ会ってつもりはありませんが、今の自分にどれだけの集客力があるのかも興味がありますし、もちろんファンとしてではなく興味本位で十分かまいません。もしよかったら、今週の金曜日の夜7時、渋谷のハチ公前に突っ立ってようと思いますので、暇でやる事がな〜い、という方々は、来てみて頂いてもよろしいでしょうか?

「おいおい、勘違いしてんじゃねーよ、オッサン。調子に乗るのもいい加減にしとけ!
と思われる方は木曜までに容赦なくコメントに
「会反対!!」などととぶちまけてください。そのご意見は真摯に受け止めたいと思っております。

ただ、一応自分の気持ちとしては、たとえ反対があろうともやりたいことをやらずに悶々するくらいならやるだけやって今の自分の現状をはっきりと掴みたい、そう思っているので30分だけは待って見ることにします。一般人としてではなく、あくまで元ジャニーズの一員の心構えで挑みたいと思います。正直、凄く怖いです。でも、心がそうしたがってる…たとえ誰一人来なくともそれが現実なのであればそれも真摯に受け止めます。ただ、木曜までに大多数が反対意見であった場合は、取りやめに致します。また、雨天の場合も中止とさせていただきます。最終決定は金曜日の昼頃までに致しますので、パソコンから見られない方は携帯からご確認ください。

また、話は変わりますが、意外にもかなり若い人たちもこのブログに目を通して頂いてるようです。昔の話など聞いても分からないはずなのに…正直、凄く嬉しいんです。そして、若い方は特にジャニーズの話題以外にも色々と悩みがあったりするように見受けられます。そこで、もしこんな私のつたない経験具合でよろしければ、皆さんの悩み、特に将来のこととか、夢に関すること、人生に関すること、恋の悩み…そういったことに少しでもアドバイスできることがあればお役に立ちたい、そう思うようになりました。もし何かちょっと聞いてもらおうかな、なんて事がありましたらどうぞ遠慮なくコメントに書いてみてください。出来る限り真剣に相談に乗りたいと思います。また、こういうみんなに見られてしまう場所ではちょっと…という方は、メールアドレスをURL欄に書いていただければこちらからまずお伺いのメールを差し上げます。その上でご相談くだされば内密にメールでご回答差し上げます。

ちょっと方向性が変わってきてしまって本当に申し訳ございませんが、これからも思いつく限りジャニーズネタをつまらなくとも書いていこうと懸命に努力いたしますので、もしよろしければ、皆さんの暖かいご支援を賜ることが出来れば幸いに存じます。

また、柚季さん、夏生さんはじめ、首都圏でない方には今回の会の参加は難しいかと思います。特にお二人には日々ご支援頂いているので心苦しいのですが…お金に余裕が出来たら、いつか必ず関西にも行きたいと思っていますので、今回は本当に申し訳ありませんがご容赦ください。ごめんなさい。

さて、でもなんか一つくらいジャニネタを書かないとランキング協力していただけませんよね。んーと、んーと…あ、そういえば、あるときジャニーさんのベンツの中で話しをしていた時に、
「僕の親父は若ハゲでお袋は超猫ッ毛なんですよ、で、ぼくもすごく猫ッ毛なんです」っていったら、ジャニーさんが
「それはヤバイね」とムッスリ言ったんです。
「うわ〜やばいこと言っちゃったかな〜」
と、ずっと心配してました。当然自分の髪も心配してました。

でも!!

以前去年の誕生日の写真を掲載したとおり、今でも変わらず髪はちゃんと保ててるんです!ああ、あのときジャニーさんに余計なこと言わなきゃ良かった… おわり


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若さ、慢心、そして没落

前回ストーカー事件について触れた。そして頂いたコメントでその元ジュニアがかなりのハイレベルなジュニアだったことも分かった。どうやら彼は事務所の反対を押し切って自ら辞めたようだ。さぞかしファンは悲しかったことだろう。

今回は、実は今日まで疑問に思っていたことも含め、私がジュニアを辞めた時のことについて触れたいと思う。これまでの記事の中にも一部その当時のことを記述したことがあったが、今回はより詳細に当時のことを振り返ってみたいと思う。皆さんのほとんどは私自身に興味はないかもしれないが、出来ればお付き合い願いたい。

まず、先ほど触れた「疑問」についてだが、このブログも始めてそろそろ1ヶ月になる。その間大勢の方にご来訪頂き、一時は一日1000人を超えるアクセスがあった。また、現役当時の写真も掲載した。にもかかわらず、これまで当時の私を認識していただいたコメントが入ってこない。20年も前の事であるし、当時は今ほどジュニアに対する注目度も高くなかったように思うので、そのあたりを差し引いても、正直納得できない気持ちがある。ここで、改めて私が当時主に出演した仕事を並べて見たいと思う。

・TBS火曜9時ドラマ「年頃家族」宇津井健主演、役どころ宇津井健次男役レギュラー
・ヤンヤン歌うスタジオ内ドラマコーナー「マッチの青春スクランブルPART供廛譽ュラー、役どころマッチの同僚社員役。役名は実名のドラマだった。
・たのきんトリオ球場コンサート出演
・シブがき隊コンサート出演(1日)
・田原俊彦宝塚劇場コンサート出演(2日)
・近藤真彦武道館コンサート出演(1日)
・少年隊バックによるレッツゴーヤング出演3回
・芸能人寒中水泳大会出演3回、うち2回はテロップに個人名
・少年隊全国ツアー同行多数、後半はラストにジュニアの名前を一人一人紹介もされた。パンフレットにも名前と写真入で紹介。特に田原俊彦、少年隊のコンサートでは必ず「ジャクソンズメドレー」と言う看板曲があり、そのバックメンバーには選ばれた人間しか参加できなかった。私はそのメドレーに選ばれていた。

ざっと並べてこのくらいである。もちろんエキストラレベルの仕事や細かい仕事は面倒なので省いてある。当時ジュニアの中でこれだけのキャリアを持つものはいなかった。ダンス方面に長けたジュニアはダンスばかり、ドラマに出ているのはコンサートにはあまり出ない、これが当時の状況だった。特に、ドラマとコンサート両面で活躍できていたのは当時私一人だった。一緒にツアーに回った中でトップランクの柳沢や正木たちでさえもドラマには出ていなかったし、いわゆる江端兄弟のどちらかが出演した「毎度お騒がせします」はその後のことだから、状況的に私自身ステップアップに対して確実に手ごたえを感じていた。「自分のランクはイーグルスレベルまで追いついた」そう信じていた。

後にも繋がるが、今にして思えばそう思っていることこそがまさに慢心なのである。まさに若さから来る慢心で、ジャニーさんともたまに文句をいわれることはあったにせよ、例えばヤンヤンのレギュラー半年間の仕事は合宿所でジャニーさんに「テレビの仕事が欲しい」といったらその場で出演が決まったほどだったからジャニーさんとの仲も決して険悪ではなかった。この状況で、若い私に慢心するな、と言うのは無理な話だった。また、ありうるとすれば私に忠告してくれたであろう父とは両親の離婚後当然別居状態だったので、私は「自分の力でここまで来たんだ、ジャニーさん以外の誰にも口を挟ませるものじゃない」と自信満々だった。

学校もすでに転校を繰り返していた。有名私立中学から都立高校へ、都立高校から夜間高校へと仕事中心にしやすい環境を求めていった。学歴なんかもはや不必要だとさえ思っていた。今でこそジャニーズの連中も大学に通ったりもしているが、当時はそんな風潮はなかった。ジャニーさん自体が学校なんかどうでもいい、と言うスタンスでさえあったからだ。それが証拠に、SMAP以前の現在までのスター達の中で大学を出ている人間が何人いるだろうか。ほとんどいないはずである。もちろんジュニアであってもそうだった。私は夜間高校でさえ出席日数が危なかったのだから。

だが、運命はたったの一言の言葉でまっさかさまに落ちていった。私はヤンヤンのドラマの撮影が終わり、その後も続けて今度は少年隊主演のドラマコーナーに出演することが決まっていた。それと同時期に、少年隊のバックのメンバーをグループ化する案がジャニーさんから出てきた。初めは「ついに来た!」と思ったが、コンセプトなどを聞いているうちに私の目指していた方向性とかなりの開きを感じた。私のイメージはSMAPと少年隊の中間くらいのイメージのグループだったが、当時ジャニーさんは和風ロックの方向性に未来を託していたようだった。忍者、光GENJI、平家派などはまさにその路線だろう。私は強い違和感を覚えた。「自分のやりたいのはそんなんじゃない」

そして、ついにそのときは来た。私はジャニーさんに直接「コンサートを降りてドラマ系に絞ってピンでやって行きたい」正直賛成してくれると信じて疑っていなかった。今で言えば滝沢君のような方向性でやっていこうと思っていた。

ところが…

ジャニーさんは烈火のごとく怒り出した。「何を馬鹿なことを言ってるんだ!」ほとんど一方的に電話を切られた。完全に予想外だった。だが、その時点ではそれほど深刻に捕らえていなかった。

それが真実味を帯びたのは、すでに決まって台本さえ出来ていたヤンヤンのドラマの仕事を突然下ろされてからだった。プロデューサーにかけあっても「ジャニーさんに考えがあるみたいだから」と取り合ってもらえなかった。

ようやく、背筋に寒気が走った。「まさか…?」ヤンヤンを落とされたのは確かに痛手だが、まだコンサートが残っている。よもやそれまで今になって取り上げるなんてことは想像できなかった。

しかし、それ以来何の仕事もパッタリと来なくなった。ジャニーさんからの電話もまったく来ない。ようやく自分のしたことに重大さを覚えたその時、事務所の自分担当デスクから連絡が入った。
「ジャニーさん怒らせたでしょう?早く謝ったほうがいいよ、今ならきっと許してくれるから」
しかし、私はすでに逆に恐怖におびえていた。ジャニーさんはジュニアに対しては気に入ればどんどん用いるが気に入らなくなったら容赦なく切り捨てることを良く知っていたからである。
「とんでもないことをしてしまった」
もはや今更何を言い訳しても、たとえ平謝りしても状況が元に戻るとは到底思えなかった。これまで積み上げてきたものが一瞬にして足元から崩れ去っていくのを覚えた。

事務所はとにかく一刻も早く謝るように助言してくれた。だが私は電話できなかった。確かに怖かったのも事実である。しかし、さらに足かせになったのは、高校のことである。先も述べたように、夜間高校すらまともに出席できていない状態だった。それが1年生や2年生だったら考えた末学校よりも仕事に重きを置いて謝っていたかもしれない。だが私はすでに3年生だった。夜間高校は4年制である。今からだったら、猛勉強すれば大学にいけるかもしれない、しかも、運良く大学付属の高校だったので推薦と言う方法も残っている。しかし、私はそこでも若さが出ていた。私は推薦と言う方法が嫌いだった。しかも当時の私の成績は35人中32番。たとえ推薦を貰ったとしても昼間部には行けない。夜間大学だけだった。私は仕事をするために夜間に来たのであって、仕事をやめるのであれば夜間には通いたくなかった。普通の大学生になりたかった。その上、自分の道は自力でこじ開ける、それが信条だった。だから、これまでまったく勉強から離れていたが、今からなら勉強すれば普通の人生に戻れる、そのイメージが心に大きくのしかかった。

どれほど悩み、あらゆるケースを考え抜いたことだろうか。最終的に私が選んだのは、「学校」だった。タイミング的にも、今ここで学校を取らなければ元の生活に戻れない(本来はエスカレータ式で大学にいける学校に通っていたのだから)と判断したからだ。

私は謝れば事務所には残れていたかもしれない。しかし、スター街道からは大きく後退してしまったと感じていた。優秀な後輩はいくらでも入ってくる。そもそもジャニーさんの機嫌を直す自信がなかった。私はスターになるためにジャニーズに入ったのであって、スターになれないのであればジャニーズは私にとっても存在価値がないのである。ジャニーズであっても窓際族になるのはプライドが許さなかった。

ものすごく悔しかったし、芸能界の冷酷さを心底感じた。しかし、これも今になって思えば私がやはり自滅したのである。ジャニーさんが悪いわけではこれっぽっちもない。むしろ、今からでも天狗になっていた自分の発言を謝れるものなら本当にお詫びしたい。完全に自分の未熟さから来た没落なのである。私は浅はかだった。だから私には、どんなに割り切っても芸能界への憧れが立ち消えることがない。入った時だって可能性なんてないといってよかったのが入れたのだ。今の私に二度とチャンスが来ないと言い切れることはない。しかし、現実は維持しなければならない。生きていくために、働かなければならない。

結局その後私は運良くストレートで大学に入れたが、1年で退学し1年間アメリカに留学する。そして2年ほどあれこれバイトなどしていたが、英語の教師を目指し再び24歳で大学に入り、教員免許を取得した。残念ながら教師にはなれなかったが、やはり大学を出たのは大きかった。その後今に至るまで、いくつかの転職はしたものの社会人としてやっていける地盤は手に入れられた。そして今は、MCPとCCNAというコンピューター系の資格を取るために、OAスクールに通いながら仕事をしている。

長い恥話になったが、やはり今に至っても情けないが未練がどうしても残る。辞めた判断自体に後悔はないが、そのきっかけそのものには今でも悔やんでも悔やみきれない。

今も、自問自答の日々は続いている。


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元ジュニアストーカー事件について

この話題、触れるかどうしようか迷いました。でも、新聞などでニュースになったくらいですから、同じ元ジュニアとしてはやはり一言述べておかなければならないと思い、私の意見を書かせていただくことにしました。

今これをお読み頂いていらっしゃる方のほとんどは節度を持ってそれぞれ応援してくださっている事と思います。ですので、この件に関する感想は皆一様だと思います。

現役タレントはここではお話からはずすとしましょう。ここでは元ジュニアで、現在芸能界から引退している人間について考えて見たいと思います。

正直なところ、辞めた後は人それぞれでしょう。ですから単純比較はできない、というのが前提となってしまいますが、私が想像するに、辞めて芸能界自体を諦めた人間にとって、今回のような事件は普通のストーカー事件より被害者としては非常に複雑な思いがあったのではないでしょうか。

ジュニア時代のランクがどのあたりであったかによっても大きな違いがあると思います。大まかに考えれば、仕事のほとんどなかったジュニアよりもそれなりに仕事をこなしてきたジュニアのほうが、諦めたとはいえ、心のどこかに芸能界に対する未練があるような気がします。少なくとも私はそうです。ただ感覚的には宝くじを当てるようなものではありますけど。

今回の事件の被害者が実際どのくらいのレベルだったかまでは知らないのですが、確か報道ではキャリア的に結構長かった人だったような気がします。そうだとすれば、もしかしたら彼の中にはストーカー被害で受けた傷とは別に、改めてジュニアを辞めなくてはいけなかった自分を思い出さざるを得ない傷まで改めて負ってしまったのではないでしょうか。

私は、辞めてから何年もたってからようやく話のネタにでもなればいいや、くらいに思えるようになって友人や仲間に昔のビデオを見せたりして盛り上がれるようになりました。もちろん、だから凄いだろ?的な気持ちはさらさらなく、むしろそれをネタにからかわれたり合コンなどの時の話題づくりにしてもらったりという、上手く説明できませんが要はその話題を好きなようにいじってくれればいいや、という気持ちでした。最近は、転職の際に職務経歴にそのことを書き入れるとかなり食いついてくれるので(笑)そんな風にも使ったりしています。

私の場合今でこそこのブログで調子に乗って「芸能界復帰作戦!」のような世迷言を吹いていますが、実際の心はあくまで一般人です。これはまた別の機会に詳しく書こうと思っていますが、辞めるにあたっては相当な迷いと覚悟があったのです。自分に言い聞かせ、失った時間や環境を一生懸命取り戻そうと努力せざるを得なかったのです。彼は会社員とのことですから、本当に頑張って今の職についたことでしょう。学歴のハンデもあったかもしれません。今回の事件は、そういった彼の思いを踏みにじるような、彼にとって可哀想な事件だったのではないかと推測しています。

「元ジュニア」というのは時には看板になり、時にはレッテルになるものです。馬鹿にされたり蔑まされることなどしょっちゅうです。それを笑って流せるようになるまでどのくらいの心の戦いをしなければならないか…

彼はスターとして新聞や報道に載ることは望んでも、このような形で載るのは間違いなく不本意でしょう。それが余計に心を痛めます。

今回は、あくまで私個人の感想で、私の意見に違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれません。ですから同意してくれとは申しません。ただ、monmonはこの記事を見てやるせない気持ちになった、それだけ申し上げて、今回は終わりにしたいと思います。

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私は、芸能活動中に2人の女性に心を奪われた。一人は以前も書いた同じ高校の同級生。ジュニアであるがゆえに諦めざるを得なかった甘く苦い思い出だ。実は、もう一人、私には今でも忘れられない女性がいる。今日は彼女のことを追悼の意味も込めて書いておきたい。

「追悼」と言う言葉どおり、もう、彼女はこの世にはいない。彼女の名誉もあるのでフルネームはご勘弁いただきたいが、恐らく今回の話を最後まで読んだ読者には、特に私と年齢の近い世代の方にはきっと想像がつくだろう。一切作り話でも虚飾でもないので、願わくば神聖なお気持ちで読み進めていただきたい。

彼女の名前は、「O.Y」と云った。年は同い年で、アイドル歌手だった。

私が彼女と初めて会ったのはヤンヤン中のドラマコーナーでのことだった。彼女はまだデビューしたてだったが、人気は上々で、同世代の中ではいわゆる赤丸急上昇の勢いといってよかった。初顔合わせの時、彼女は私に向かって意外な言葉を吐いた。
「はじめまして、O.Yです。まだ何も分からないことだらけですので、どうぞ色々と教えてください。」
なんとも謙虚な言葉だった。確かにキャリアは私のほうが上だし、私自身バリバリの頃だったことは確かだ。そうはいっても、彼女はすでにレコードデビューを果たし、格付け的にはやはり彼女のほうが上だと思った。
私は、
「いや、何言ってるの!もうデビューして人気も凄いじゃない。そのうち俺のことなんて口も利いてくれなくなっちゃうんじゃないの?」
とおどけて見せた。すると彼女はあくまで謙虚に
「いいえ、私は田舎者ですし、ジャニーズの方とお話できるだけでも緊張しちゃって…」

私は彼女が東海地方出身だと言うことは聞いていた。しかも、歌手になるために学業で親の求めたハードルを見事に越えて、満を持して上京した、根性のある、それでいて本当に謙虚な女性だった。

たった5分のドラマだったが、彼女との接点は決して少なくなかった。同い年と言うこともあり、自分で言うのは気が引けるが意気は投合していったと思う。休憩時間などは一緒にジュースを買いに行ったこともしばしばだった。ロケの時などは、彼女のファンが非常に怖い目で私を見ていたことを覚えているし、二人の間で話題にもなった。
「あまりファンのいる前で二人でいると俺殺されちゃうよ」
「大丈夫よ、みんな優しい人たちだから。」
いや、それはそうだろう。君に対しては。でも私に対して彼らが優しくしてくれようはずもない。しかし、そういった気持ちの持ち主である彼女にどんどん惹かれていったことは確かだった。

しかし、やはりそう簡単にはいかなかった。まず最初に壁として現れたのが彼女のマネージャーである。私はまだ同行マネージャーまではいなかったので、仕事に行く時はいつも一人だったが、デビューをしている彼女はそうは行かない。清純路線で上り調子の彼女に目を光らせるのは当然だった。マネージャーの取った手段は、私と彼女の出番をずらす、と言う作戦だった。これまでは出番も一緒の機会が多かったので喋ることも比較的簡単に出来た。しかし、撮影順序をいじられてはこちらとしても手の出しようがない。彼女との接点は見る見るうちに減っていった。

私は、改めて普通の世界じゃないんだ、ということを痛感した。それから、私はチャンスがあれば積極策に出ようと決めていた。しかし、彼女はなかなか姿を現さない。

時間だけが過ぎていき、撮影終了もだんだんと近づいてきていた。もうチャンスは来ないのか、そう思っていたときだった。あるロケで、タクシーで移動することがあった。そのときに、なんと偶然私と彼女が二人きりで(マネージャー抜きで)乗車できたのだ!

私は、これまで寂しかった気持ちを素直に伝えた。彼女も同様のことを言ってくれた。そして、電話番号を交換しよう、と言うことになった。しかし、ロケの移動なので私物など持って来ていない。ペンとメモがないのだ。もちろん携帯電話などあろうはずもない。
「じゃあ、局に戻ったらすぐ交換しよう」と私が言った。
「でも、私は今寮住まいなの。そこの番号になっちゃうけど、いい?」
「いいよ、話は出来るんでしょ?」
「うん、それは大丈夫」

私は、運命の神を憎んでいる。これが、彼女と交わした最後の会話であり、最後に見た姿となった。

それから数ヵ月後、私はジャニーズを辞める事になった。彼女との事は、僅かの差で夢物語になってしまったことを悟った。それ自体は仕方のないことだ。私は1ファンとして彼女を見守ろうと思っていた。

時は流れた。

私は、自宅でニュースを見て絶句した。写真週刊誌も見た。そのときの気持ちは、今でも言い表せない。世間はその原因探しに躍起になり、最終的にこうだったようだ、というテレビ的結論には達していた。が、私は真相を知りたかった。私はまだ当時芸能人とも多少のつながりが残っていたので、そこから何か情報が流れてこないか、探りを入れた。

そして…この先の話は、私の心にしまっておきたい。私は何も知らない。そういうことにしておいていただきたい。

何の役にも立たなかったかもしれない。でも、もし私がもう一歩早く手を打ち、彼女との連絡が取れるような体勢を整えられていたら…せめて友達としてでも、連絡の取れる仲になっていたら…

もしかしたら、彼女の大人の笑顔に頬を緩められていたかもしれなかった。ただ、私は彼女と過ごした僅かな時間も忘れていないし、今でも当時のVTRは保存してある。

Yちゃん、僕は今でも、君の笑顔も声も大好きです。君の事は、僕の勝手な思い込みかもしれなかったけど、ごめんね、って言いたいです。君は、素敵な女性でした。

※お願い
コメントをお書き頂く際、本件の該当者と思われるタレント名を分かる形でご記入することはお控えください。宜しくお願い致します。


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大きな箱と小さな箱

さてこれは今時のジュニアはどう感じているやら…

というより、これはとりあえず私だけの感想かもしれない。コンサート会場の規模の話である。

私が出たコンサートなどの舞台で小さいのは○○公民館などの2000〜3000人規模の舞台、一番大きかったので名古屋球場と大阪球場である。武道館などは大きな部類に入るだろう。

私は、小さい会場のほうが好きだった。小さい会場だと、たぶん皆さんが考えているよりずっと皆さんのことが良く見えるのである。かなり後ろのほうでも良く見える。だから、よく舞台の上のタレントと目があったような気がした時は、大抵本当に目が合っている。また、実際やっているほうは意外と冷静で(ハートは熱くても頭は冷静と言う意味)、ああ、あの子目が合って喜んでるな、とか今日は自分のこと見てくれてる人少ないなあ、とか、結構観客席を観察してたりしているものである。舞台が終わった後、
「どこどこにいたあの子達こんなことしてたね」
など、楽屋で話していたりするものだ。また、自分の追っかけをしてくれている子がどこにいるかなど、実はちゃんとチェックしてたりもする。

大きな箱の場合は、演出や規模がでかいので確かに爽快感はあるが、ジュニアとしてはあまりやりがいは感じなかったりする。大きくなればなるほど自分を見てくれる可能性が低くなる、と考えたからだ。自分がメインならまた違う感覚なのだろうが、ジュニアの身分では大きい箱を嬉しいと思うのは慣れないうちだけではないだろうか。

実際舞台に立ってみて初めて分かったことだが、観客がこれだけはっきり見えているということは、逆に自分も観客にはっきり見させることが出来るということである。そうなれば、アドリブの振りの時などの気合に入り方が違う。お客さんにも当然アピールしたいし、客席で実は見ている振り付け師の先生にも自分の舞台上での栄えをアピールできるからだ。

ちなみに、舞台の上で冷静なのは多分ほとんどのメンバーがそうだと思う。と言うのも、そこに行くまでそれはたっぷりとリハーサルや練習を積んできているからだ。だから、お客さんに見えないように後ろを向いてわざと仲間を笑わせたりというほんのお遊びなんかもあったりするときもあるものだ。不謹慎と思われるかもしれないが、しかしそのくらいでないと何かトラブルや段取り違いがあったときに適切に対応できない。やはりそんなにすべてが毎回上手くはいってくれないものである。仕掛けが上手く働かなかったり早替えにミスが出たりなどはありがちなことだ。そういうときに、舞台をつぶさない冷静さは、やはりスタッフも含め全員に求められる。そういう面も含めて、私は小さい箱のほうが好きだった。

ただ、私の頃はドームも横浜アリーナもなかったので、その二つは出てみたかったなあ、と思っている。


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報告:出演してきました!5

今日夕方5時からの生放送、出てきましたよ!

「あっ!とおどろく放送局」

なんとMCの方と私だけで50分間CMなしで喋り続けました!話の内容はほとんどブログと同じことだったんですけど、飲み物とかなかったので途中喉が辛かった!

そしてMCの方が
「踊ってみてくれませんか?」
と言うので、恥ずかしかったけど久々にカメラの前で踊ってしまいました。ほんの10秒くらいでしたけど。

これをきっかけに、また芸能界へ戻れたらいいな〜、なんて儚い夢を持てた50分間でした。


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緊急告知!5

実は、急な話なんですが、以前インターネット放送局の

「あっ!とおどろく放送局」

というところが出演者希望を募っていたので興味本位で応募したら、さっき電話があって、
「明日の17時から生放送に出て自己PRしてください」
と言われちゃいました!!びっくりです!なんだか詳しく話は分からないんですけど、どうやら生でネット放送に出演できるみたいです!

とりあえず何にも考えていないんですけど、このブログの宣伝でもしてこようかと思ってます。お時間のある方、無料放送なので(最初に無料登録は必要みたいですけど)動くmonmonを見たい方、ぜひご覧になってくださいね!

以上、緊急告知でした!

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イーグルス

生まれて初めて、激しい嫉妬を覚えた。

ある日突然、ジャニーさんから新グループ結成の発表があった。それが、「イーグルス」だった。メンバーは、中村、宇治、内海、大沢、石川の5人だった(その後石川は早い段階で都合で事務所を辞めてしまい、事実上イーグルスは4人構成となる)。

なんとも言いようのない感情のうねりが全身を襲った。初めて味わう感覚だった。悔しい、羨ましい、おかしい、納得いかない、そのどれもが的を射ていない感じもすれば、そのすべてが含まれてる感じもした。

中村、内海、宇治は確かに私より若干早くジュニア入りしてはいたが、実力的に決定的な差があったとは到底思えなかった。また、彼らは私と同い年でもあった。大沢は、私と同じオーディションで入った人間で、しかも2歳年下だった。

なぜ、私がそこにいないのか。ジャニーさんの存在は絶対的で、私自身もまだ天狗になっていない時期でもあったので異議を唱えることなど出来なかった。ただそこには、グループデビューからもらされた自分の存在があっただけだった。

ただ、イーグルス自体がデビューすることに関しては抵抗はなかった。そこには何の不思議さもない。ただ、自分が選ばれなかったことだけがやはり悔しかったのだ。

ご存知のように、最終的にはイーグルスは解散した。大沢と内海はその後光GENJIへ、中村はソロデビューへ、宇治は事務所を辞め芸能活動を辞めた(宇治に関してはその後しばらく別の事務所で芸能活動をしていたといううわさも聞いたが私の記憶では定かでない)。ただ、決して私はイーグルスが現在活躍中のグループに劣っているとは思っていない。たまたま、天が彼らを愛さなかっただけなのだ。私の印象では、むしろイーグルスはメンバーがごちゃごちゃせずすんなりとデビューでき、後は時代と天さえ味方すれば今でも活躍していてもいいメンバーだと思っている。だから、私は入らなくてラッキー、と言う気持ちよりもやはり入りたかった気持ちのほうが比較できないほど大きい。解散になったのはあくまで結果論でしかなく、芸能史に名を残すチャンスが彼らには与えられ、私には与えられなかった、そう捉えているからだ。

私は今も、イーグルスであった彼らを羨ましいと思う。そして、現在それぞれに道を歩んで頑張っている彼らに、エールを送りたいと思っている。



P.S.最近皆さんのコメントが減り気味で寂しいです…ランキングも落ち気味なので皆さんご協力お願いします!

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代えのいない舞台

今回もコンサートがらみの話をひとつ。

具体的にいつのコンサートかは忘れてしまったが、私は1回だけスタッフ含め周りのメンバーに大変な心配と迷惑をかけたことがある。

あれはどこか地方に公演に行った時のことだ。確かその日は1回公演だったと思うのだが、私は当日高熱にうなされてしまっていた。40℃近くはあったろうか。体はふらふらでまともに立っていることも出来ない。当然、周りは私が出演できなかった場合について計画を練り直さなければならない。というのも、バックはただ踊っているだけなら一人くらいかけても何とかごまかせたりは出来るものだが、大抵何らかの仕掛けの係(例えばこのタイミングでここにある紐を引っ張ってはけていくなど)や、歌中劇の一人になっていたりするものなのだ。そうすると一人欠けるだけで大事になる。演出そのものに関わってくるからだ。

もちろん私はそれが分かったいるから自ら出演を申し出た。しかし傍から見ればどう見ても舞台を勤め上げられそうにない。しばらく話し合いになった後、私がなんとしても恥はかかせませんから、と強く希望して強行出演することに決まった。

もちろん、私には私なりの計算があった。振りや演出自体は基本的にいつもと変わらないものだったのですでに体が覚えている。あとはバランスを崩さないようにさえ気をつければだましだましメニューはこなせると踏んでいた。実際、素人目にはそれほど違いが分からなかったのではないかと思う。ただ後日自分のファンからはあの日の公演はなんか調子悪そうだったね、とは言われてしまったが。

ただひとつ、私には不安なことがあった。ある曲の振りの中でバック転が入る部分があったのだ。私は元々バック転が苦手で、ジュニアになってから相当練習してなんとか出来るようになったレベルだったので、今の体力で上手くバック転が出来るか、それだけが心配だった。バック転は見た目が派手だけに失敗すると非常に目立つ。

いよいよその瞬間が近づいてきた。「やるしかない」そう思って一気に飛んだ。

何とか回転は出来た。着地も出来た。恐らくほとんどのファンにはそれほどの違和感は伝わらなかったろう。しかし、私自身は大きな痛手を負ってしまった。腕に力が入らず、最初の着地が頭から直接舞台に落ちてしまったのだ。そのまま気合で足で着地したので、恐らく見た目的にはちょっと変なバック転やった子がいるな、位ですんだと思う。そこから先は、はっきりとは覚えていないのだが、舞台そのものに支障はなかったように記憶しているので、終演後病院に行ったか市販薬を飲んで帰路に着いたかなどどうにかしたのだろう。

誤解して欲しくないのだが、これは決して私の根性が凄い、と言う話ではない。私の自己管理の甘さ、プロ意識の低さを露呈しているに過ぎない恥ずべき話なのだ。大切なお金を払って、私も含めて見に来て頂いているお客様に対して万全の体調を管理できずに不満足な内容の舞台をお見せしてしまったことは今にして思えばまったく以って不届き千万と言うべきほかない。もし今私が舞台監督だったなら、私もその男の体の心配よりも舞台全体の心配を真っ先に考えるだろう。また、基本的に全員がそのような意識で臨んでいなければならないのがこの仕事なのではないだろうか。

プロとは、そういうものである。

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コンサートの舞台裏

名だたるジャニーズのスター達の歴々としたコンサート。何度も足を運んだ方も多いのではないだろうか。歌や踊り、演出も含めてさぞ満足のいくコンサートだったはずである。まあ、小さくしか見えなかった、と言うのはご愛嬌。今日はそんなコンサートの中でも「早替え」について語ろうと思う。

すべて見たわけではないし最近のコンサートは分からないが、ジャニーズのコンサートは伝統的に「早替え」の手法を多用する。これは観客から見て一瞬の間に別の衣装に着替えてしまうことである。見たことのある方がほとんどではないだろうか。

実はこの早替え、メインのスターとバックダンサーでは格段に違いがある。当然と言えばそれまでだが。ここでは自分達の時代はどうしていたかご披露しよう。ただし、詳細については企業秘密に該当する部分も含まれるので、差しさわりのない範囲でご勘弁願いたい。

メインのスターたちはこういっては何だが実はそれほど大変ではない。舞台の袖にちゃんと衣装替えブースが明かりとともに用意され(もちろん暗天の時などは消されるが。そういう場合はスタッフがペンライトを使って誘導する)、一度に数人がかりで衣装や化粧替えをするのである。

ところがバックダンサーはそうはいかない。バックが大勢の時は出番自体も少なく合間に余裕があるので一旦控え室に戻って着替えられたりもするのだが、バックが精鋭のみの少人数になると全曲中6〜7割はステージに出ることになる。しかも衣装管理や着替えなどは一切が自己責任なので大変だ。

メインの衣装には仕掛けがしてあってそれこそ一瞬で早変りできる衣装もある。しかし、我々にはそんな贅沢なものはない。我々は、ただ間に合うようにあたふたして着替えるのみである。

ここで厄介なのが、例えば前曲で上手(かみて=客席から見て右側が上手)からはけたとする。しかし、続いて連続の曲でも出番があり、その出だしが下手(しもて)からだったりすることもままあるのだ。そんな時は着替えてから移動するか移動してから着替えるかは事前に舞台を観察して実際に幕裏を走ってみたりする。もちろん本番中に幕がゆれてはいけないから、そのあたりをよく計算して、ジュニア同士話し合って決めたりするのである。また、その自分の衣装置き場など用意されていないから、これも周りと相談しながら置き場所を決めていく。当然、曲の順番で衣装も違うから上手脇にはこの順番でここに置く、下手は…と決めていく。

もちろんペンライトの誘導もなく、周りは他のステージスタッフでごった返している中での話である。当然、汗もかいているのでこれがなかなか着替えづらい。その時にも寄るが大体イメージ的には観客が完全に見えなくなってから約30秒間で着替え終わり、ステージ顔になっていなければならないときが多い。ギリギリになることもしょっちゅうで、うわあ、後1秒!になってようやく着替え終わり、汗だくながらも何食わぬ顔をしてステージに出て行くのである。自分もそうだが、周りのジュニアのそんな様子を垣間見ると「プロ根性だなあ」と闘志が湧いてきたものである。それを1日何公演も行う(私の場合は1日5回公演を経験したことがある)のだから、やはり日ごろの鍛錬がものを言う職場である。

いつも同じ場所でのコンサートで同じ内容ならそこまで苦労もしないが、同一公演でも毎回微妙に演出や出待ちが変えられる事があるうえに、場所も変わればそのたびにああだこうだと試行錯誤しなければならないのである。ジュニアの場合は自分達でだ。

それでも舞台の上に立ち、ツアーの一員でいられることは誇り以外の何物でもない。「いつかはあのメインに!」その野望を常に抱きながら、声援を送ってくださるファンの方々に最高のダンスと最高の笑顔を日々送り続けているのである。

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ジュニア同士の交流

正直、私は下手だった。兄弟は10も年下の妹がそばにいるだけで父もなく、しつけと言うものが甘かった。だから我侭に振る舞い、友達付き合いも面倒なほうだったので、ジュニアの仲間はライバルくらいにしか思っていなかった。今思えば、もっと心を開いてみんなと仲良くやっておけば、大人として、仲間としていいお酒が飲めていたろうに、そう思うと当時の自分の未熟さが哀れに思える。

そんな中でも、唯一プライベートで遊んだのは内海光司だった。16歳になった頃、普通の高校生でもあった私達はそれぞれにバイクの免許を取り(始めは原付だったが)、それぞれにバイクを買った。お互いにスクーターが嫌いで、またがるタイプのバイクを買ったこともあり、話が弾んだ。また、彼の実家と私のうちの実家がバイクで行けばそれこそちょっとあればいける程度だったので、二人でバイクを乗り回して遊んでいた。

ある日隅田川沿いの道を二人で走っていた。たまたまそのときはお互いのバイクを交換して走っていた。と、そのときカーブで私のバイクがタイヤを砂に取られて転倒してガードレールに突っ込んでしまったのだ。

「やっちゃった〜よりによって交換した時に事故るなんて…弁償だなァ」
そんなことを思っていた。内海的にも明らかに怒ってはいたが、なにぶん事故なので私の体の心配をしてくれた。よく見ると、私の左ひじに木の枝が刺さって貫通していたのだ。幸いまっすぐに近い枝だったのですんなり抜けたが、とりあえず止血して病院にいった。幸いにも内海のバイクは走行には殆ど支障がなかったので、あとでちゃんと弁償するから、と詫びてその場は帰ってもらった。もちろん後日、ちゃんと弁償はした。しかし、いまだに私の左ひじにはその時の傷の跡が残っている。

ジャニーズの仲間であと思い出があるとしたら、以前書いた話の中でレッスン中に足を怪我したことを書いたが、その時家まで肩を貸して送ってくれたのが内海兄弟(いわゆるキノッピーには同じジャニーズに兄も入っていた)だった。あの時は自力歩行が殆ど出来なかったので、二人の気持ちが嬉しかった。

やはり、何度思い返しても友達は誰でもいいから、売れてなくてもいいから作っておくべきだったといまだに後悔している、だが、その教訓は今に活き、今は沢山の友人に囲まれて、素晴らしい妻にも恵まれ、大変ながらも幸せな日々を送っている。

最近の私の姿が見てみたいという好奇心旺盛な(怖いもの見たさ?)方がいらっしゃいましたので、出たがりの私としては早速掲載してみることにしました!評価はもういいです(^^;)プリクラなので画質が悪いのですが…去年の私の誕生日に妻とサンリオピューロランドに行ったときの写真です。
38歳の誕生日




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合宿所

ジャニーズの熱いファンともなれば。合宿所の存在は極めて大きいものだろう。そこに憧れのタレント達がいると思えばそれは玄関前に陣取って今か今かと待ちわびる気持ちも今となっては良く分かる。そこで今日は、決して皆さんが中に入ることが許されなかった合宿所の内部を語ってみたいと思う。

ご存知だとは思うが、私の言っている合宿所とは当時のものであり、現在はかなり前に転居したと聞いている。今現在、何処に誰が住んでいるのかは残念ながらまったく知らない。なので、最近の若いファンにとってはあまり興味のない話になるかもしれないが、昔はこうだったんだ、とそう思って読んでいただきたい。また、近隣住民への配慮も考えなければいけないので、転居したとはいえ具体的な場所をお伝えできないことをご承知置き願いたい。

その合宿所は、原宿駅から歩いて行ける範囲にあった、当時としては大きいマンションの6階にあった。ちなみに、その6階すべてが合宿所の敷地である。玄関は普通の自動ドアで暗証番号などはなかったが、その代わり常駐の警備員室があり、その警備員の許可がなければ入館が出来ない仕組みになっていた。また、ジュニアになったからといっていきなり誰でもが入れてもらえるわけでもなかった。ジャニーさんから声がかからないと、つまり許可が出なければジュニアと言えども中に入ることは許されないのである。

だから、合宿所に行ける、と言うのはジュニアの中でのステータスの中のひとつでもあった。また、はじめのうちはジャニーさんから許可があっても警備員はもちろん自分の顔など知らない。それ故身分の確認を警備員が取ってから初めて入館が認められるのである。もちろん、それも何度も通えるようになればさすがに警備員も顔と名前を覚えてくれる。そうなると所謂「顔パス」へと昇格する。無論、こうなるのもステータスのひとつであることは言うまでもない。

私が初めて合宿所に招かれた時は驚きの連続だった。まずいきなり驚いたのは、緊張してエレベーターに乗り、6階を押して待っていると、扉が開いたそこにはなんとドアが1つしかないのである。普通、マンションのエレベーターを登ったら廊下があって各部屋のドアがあって…というイメージを持つはずだ。ところが、ドアの開いた空間は車一台も置けないほどのスペースしかなく、ドアは合宿所と思われるもの1枚と、確か非常階段用に1枚の2枚しかドアがないのである。廊下なんてまるでない。恐る恐るベルを鳴らすと、誰かジュニアの子がドアを開けてくれた。

広い。とにかく広い。普通なら4〜5件はあろうかと言うスペースが、すべてこの合宿所1件のために作られていたのだ。玄関を入るとまっすぐに長い廊下がある。それをはさんで様々に部屋があった。廊下は突き当たると左に曲がっている。玄関先から順に追っていくと、右から、まずはダイニングキッチン、その外に屋外プール、ダイニングに隣接して少年隊3人の部屋、風呂場、マッチの部屋と続いて右側は終わる。左側は、少なくともそこらの2DKのフロアすべて合わせても追いつかないくらいの馬鹿でかい広間があった。そこにはフィルム製で出来ている横に数人並んでレッスンできるほどの巨大な鏡が合った。また、10人は余裕で座れそうな本皮張りのくねったソファも置かれてあった。基本的なみんなの溜まり場はここである。

その隣は川崎麻世さんの部屋、その次にジュニアのみんなが泊まりに来た時などに使う16畳ほどの部屋があり、そこと繋がるようにしてジャニーさんの部屋があった。また、そこにはもうひとつのユニットバス(大きいですが)があった。意外に思うかもしれないが、一番狭いのがこのジャニーさんの部屋で、6畳ほどもあったかなかったか位の程度の細い部屋であった。ここまでが左半分である。そして残った廊下を左に曲がった部屋に、トシちゃんの部屋があった。ちなみに、私と同年代かそれ以上の方々は、「TOSHI LOVE FOREVER」という題名のドキュメンタリー映画が何か他のたのきん映画と同時上映で公開されていたのを覚えていらっしゃるだろうか。ぼんやりとだがこれには私も映っていたのでビデオ(ビデオ化されていました。でもベータです。VHSがあるかどうかはわかりません)を今でも持っているが、あの映画には田原俊彦のプライベートをつづる場面で実際の合宿所が使われている。まったくセットではなく、入浴シーンで使われたシャワールームもトシちゃんの部屋とされていた部屋も鏡の前でダンスを踊っていた大広間も全部すべて本物なのである。

合宿所のエピソードとして面白い話がある。ジャニーさんが言っていただけで本当かどうか知らないが、8階に矢沢永吉が、5階に永谷園の社長が住んでいたというのである。そこでよく問題になったのが、実はあれで案外床が響くらしく、バタバタ遊んでいようものならジャニーさんが「コラーッ!ユー達もう入れてやらないよっ!」と、しょっちゅうみんなを怒っていた。そうはいっても若い少年の集まりだからなかなか「はいそうですか」とはいかない。そのあたりのやり取りは傍から見てても面白かった。ただ、下からしょっちゅう苦情が来ていたと言っていたから、ジャニーさんも手を焼いていたのだろう。

と、そんな中で私的にはすごいものを見た、という印象の出来事なのだが、それだけ床にはうるさい合宿所で、ある日マッチが錦織君に、
「お前ソフトやってみろよ」
と言ったのである。私はそのときソフトの意味を知らなかったので何をやるのかなあ、と見ていたらいきなり錦織君がバック転をその場でやりだしたのだ。小走りするだけでもうるさく言われるのにバック転とは!これもマッチのいたずらかと思いきや、
「スッ…」
と、殆どまったくと言っていいほど音もなく着地までしてのけたのである。こんなことができるのか、と、改めて彼のすごさを目の当たりにさせられた。ちなみにマッチはその後何回もやらせ、最後には「もうかんべんしてください!」と泣きが入ったのを覚えている。ただのバック転と違い、体に負担が大きいらしい。あれはテレビでは伝わらないだろうから、皆さんには悪いがちょっと得した気分である。

ちなみに、先ほどトシちゃんのドキュメンタリーで大広間で踊りの練習をしているシーンがあった、と書いたが、実際あんなことやったらそれこそジャニーさんに大目玉である。さぞかしその日の5階の住人はうるさかったろうなあ、と変な視点で映画を見た私だった。

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眠れないのでたまにはこんなものも

今日はなぜか眠れない。その割には頭はシャッキリしていないので、今回は以前作ったオリジナルの詩でも載せてみようかと思う。作詞は趣味のひとつなので、評判がよければこれからも折に触れ載せて行きたいと思う。感想など頂ければなお幸いです。

題名はありません。

無くしたつながりに取り残された想いが
そよ風にまぎれて消えてしまえばいいのに
川面に映る自分のように ゆらゆらと揺れている
写真の中にいる幸せそうな僕が
恨めしいほど今は他人に見える
君と過ごしていた時間は少し
幸せすぎたと思い出が語る
まばゆく輝いた すべてのことが
忘れられず今も残る
やさしい温もりの中で

今の君の様子何もわからないけれど
君の笑顔のために 何もとらわれることなく
空を流れる雲のように自由でいてほしい
写真の中にいる幸せそうな君が
今もそのまま そう いてくれればいい
僕らがすれ違い悩んだときも
君の幸せは願い続けてた
その想い素直に出せていたなら
もっと早くわかり合えて
きっと君は泣かなかったね

君が瞳の奥に隠していた 悲しい気持ち
今になってはっきり分かるなんて

君と過ごしていた時間は少し
思い出としてはつらいものだけど
僕らは輝いた それは確かさ
それでいい 忘れないよ
君を好きだったことを


さよならひとつだけで すべての恋が終れるなら 
どれほど楽だろうと 今日もまた思ってる
月日が解決するはずの 心の痛みが
ふとした瞬間に 今もまだ 襲ってくる
つないだ手のひらの ぬくもりが どうしても 消えない
過去はもう 振り返らないと 誓ったはずだったのに
背中のずっと後ろに 残してきた思い出が
変わらない暖かさで 僕の胸にしみている

新しい生活も 日常に溶け込んできて
出会った人も増えて 活き活きと振舞った
でも胸の奥にしまってる 本当の自分は
満たされぬ思いに 今もまだ 包まれてる
君の記憶の中 僕の居場所 だんだんと 消えてゆく
そんなこと 心に浮かんで 目を閉じて天を仰ぐ
秋が過ぎて冬が来て 僕の髪も変わったなんて
とどかないメッセージを 胸の中で燃やしてる

明るくしなくてもいい 元気を出さなくてもいい
きっともうすぐ 歩き出す 自分の力で

背中のずっと後ろに 残してきた思い出に
もいちど今度は笑顔で さよならしよう
また自分のこと好きになるために

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プロフィール

石丸志門

1967年9月5日生まれ O型

元ジャニーズJr.
主なレギュラー活動履歴:

テレビ
TBS「年頃家族」
テレ東「ヤンヤン歌うスタジオ」

ツアー
少年隊全国ツアー帯同

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