ジャニあっく!

「昔のジャニーズは良かったな〜」 というスタンスのジャニーズ応援ブログです! なので今時のジャニーズに対しては辛口記事もあるかもしれませんが、 ジャニーズ愛には絶対の自信があります。ジャニーさん万歳!

やっぱトシちゃんかっこいいわ〜

もはや再ブレークとも言えるトシちゃん

あの年齢で口パクなしであそこまで歌って踊れるのはまさに感激!

唯一目標としてた人がここまでできていることが本当に嬉しい

田原さん、あなたはやはりスーパーアイドルトシトシちゃん!です!

それはダメとわかっていても…

やはりね

鉄腕DASH!には「頭領」がいないと…

いかにリーダーが万能とはいえ、仲間がしょっちゅう応援に来てくれても、

失った戦力がいかに大きかったかを

再認識するばかり…

他はともかく、この、せめて「作業」だけでも…

ダメなんでしょうけどね…うん…

ドラマを作る時に最初に目にするもの

スキャンした書類-1

これは、TBSドラマ「年ごろ家族」初顔合わせの時に全員頂く「ドラマの基本設定(背景)」です

アップしたページは1枚ですが、この背景説明だけで実に5ページぎっしり書かれています

その上で、各役どころの性格、過去の出来事、現状など事細かく設定してあります
これらを見て、俳優はその役を自分なりに反芻し、架空の人間像を作り上げ、その人に少しづつなりきっていくのです

台詞やストーリーに関係ない部分も考えます

例えば街を歩いていて似たような人を見たとき、「この役の人だったらどう考えてどういう気持ちで何をするのだろう」と、仕事というより自然とやる方が多いです

稀に、監督から直々に「原作は読まないでください」とか「あなたの考え方を反映させてください」のような注文があるときもあります

あと、本編にはすでに亡くなった設定になって役者さんはせいぜい写真でしか出てこない場合でも、その人物の幼少期から亡くなるまでの人生が書いてあることもあります
役の重要性によってその設定の細かさ、長さは変わってきます

ちなみに、僕の演じた「信二」はたった5行で説明されていましたwwwwww


とまあこれをベースとして、本編のストーリーを脚本家さんが考えるわけです
と言ってもリハ(本読み)で修正の嵐になり(あんまり大物先生が書いたものだとそのあたりの忖度があるのですが)前後の話に合わせて細かいストーリーや台詞が決まっていって、さらにそれを元に演者と監督さんの間で最終すり合わせが行われるのです(これは僕でもやりました。あまりにもお調子者の設定だったので、そうでない部分を混ぜ込む要望をよく出しました)

本当にガチのドラマはスタッフ含めみんなが同じ方向を向いていないと出来ない大変なものです

デビューして売れたらポルシェなりランボルギーニなり

僕らの頃は、20代前半で莫大な金が入っていました

アイドルなんて売れて数年、その間に稼ぎまくりその後は外の世界の芸能に没頭する、そういう未来を見ていました

少年隊が仮面舞踏会でデビューする数年前には、植草くんは1分の会話でマッチさんからポルシェただでお下がりもらっていました。僕その場にいたので植草くんの喜んだこと!マッチさんは古着をやるよ、みたいな軽いノリでもう買い換えるから乗らない、みたいな感じでした

夢ありますよね〜

僕らジュニアも、数年後にはそうなるもんだと思っていましたよ、ほぼ全員ね20代中盤になったら田園調布や目黒あたりに豪邸建てて、優雅に一人暮らし(イメージは汚れた英雄)

ただ一つ気がかりだったのは、売れてるからいいけどジャニーさんは満足できていないと思ったんです

ウエストサイドストーリーがジャニーさんの全ての原点でした

ですからアイドルなんかよりも映画スター、ミュージカルスターが育てたタレントのゴールだと思っていたかもしれません

しかし、弱小事務所に金が倍々ゲームで入ってくる

事務所社員や現場スタッフ、大道具、トリックにも莫大な予算がつけられるようになった

完璧主義のジャニーさんが本当の夢を叶えるためにアイドル路線を利用したんだと思います

本来の目的ではないから、マネージャーや本人たちに任せるようになった

それでSMAP以降が生まれるんですけど、コアな分析できる人は少年隊、滝沢、坂本、光一

彼らが最も尊敬されるべきで彼らが最高ランクとするべきなのはいうまでもありません

そしてようやく世界の本丸ブロードウェイの主演をはらせる

さらに、時代の変化、技術の進化にも対応しなければならない

そして、「会える、話せる、触れる」といった禁断を破った某プロヂューサーをどう思っていらっしゃるのでしょうか

昔書いた事がありますが、地方だけですけどこの僕にさえオフタイムにはSPが尾行して守ってくれるんですよ?

昔から、バス移動の時はタクシーで東京ー名古屋でも何人も追跡されました
飛行機の時は必ずファンも乗っています
ホテルも、流石に同じ階ではありませんが泊まっていました
ひと月に30万くらいかけてるそうです
そのお金は稼いでいると言っていました
高校も、僕らの人数が少ないですから明中夜間にファンも入学してきました

それでも、ファンに手を出すなんて考えられないし(だよ?助さん)万一そんな奴がいたら抹殺されます
ファンは、「人気のバロメーター」として見ていたんです。もちろん、会えば優しくしますがそれは営業。恋愛対象としては1mmも見てなかった。

だからこそ、芸能人の成功者として、リッチになり、歳を取っても芸事で生きていけるプランを立てているんです

そうでない奴が、今、消えてるんです

5ちゃんねる見て驚きました

電波石丸?(お前ごとき、みたいなニュアンスでしょうか)です(笑)

割と最近のスレッドにいくつか名前が出てきていたので、ようやく無名の僕も「本物」として認知されてきたんだなあ、と感慨深かったです

まあ、書かれてることは辛辣でしたが、それも皆さんの評価なので真摯に受け止めます

ともかく、このブログは当時「ジャニーズなんて顔だけいいチャラチャラ集団」という認識が多く見受けられたので、いやそうじゃない、入ったらみんな人生かけて地獄の特訓に歯を食いしばって競争してるんだ、ということをなんとか伝えたい、でも僕はレコードデビューだけしてなかったので知名度は薄い、さてどうしたものか、と思い悩みながらも中にいた人間でなければ知り得ない話題で信頼を得ようとひたすら書き続けてきました。

その目標は、十分達成できました。ありがたいことです

忍者について知らない話がありそうなので書いておきます

僕が辞めた1985年春の時点で当時少年隊のツアーメンバーだった8人のうち6人をグループデビューさせようとしている、という噂が舞い込んできました

その時のざっくりしたコンセプトが徹底的な「和」ということだったので、まあだいたい当時みんな目指していたのは「キラキラ」なアイドルでしたからメンバー内で「どうする?」みたいな不安が立ち込めていたんです

その時に確定していたのが僕、柳沢くん、正木、塩入の4人で、あとは調整のような感じでした
ちなみに大沢と内海はこのメンバーには最初から入っていません
当時からジャニーさんには別の使い方を考えていた証拠です

特に僕は一番ダンスが上手で仲の良かった塩入となんどもなんども話し合いました

僕はトシちゃんに憧れてこの世界に入り、トシちゃんのようにピンで客席を熱狂に包むことを目標にしていました
かつ、リーダーは柳沢くんという話。年齢もキャリアも僕より上でしたが実績はずっと僕の方が上
自分がリーダーでリードボーカルなら考えようもあるけど、これじゃ話にならない、という結論に至りました
それで、ツアーのメンバーを降りれば、ドラマの仕事は先にもすぐ決まってるし、問題なくおりれるだろうと考えていたんです
確かに少年隊のバックはトップクラスでないと勤まりませんが、僕の替えはいなくもない

と、当時の若気の頭で計算してジャニーさんに電話したら、そこでTHE ENDだったわけです

で、もう一度言いますがこれが1985年のことです
忍者のデビューは1990年でしたね?この間に5年かかったわけです

確定4人のうち僕と塩入が拒否しました
まさに同時期に、「東京」が編成されつつあり、遠藤も、守屋くんもそっちに配属になっていました
CMまでとってながしちゃいましたからね(アーモンドゴールド)

少年隊の純後輩というハイスペグループの予定でしたから、実際代わりは誰にしようかと
まあ高木が微妙だけど力量は十分伸び代がある、あとはエンちゃんをもらって、残りはレッスンで鍛えた中で見つける、という風になります

多少の計算はジャニーさんも狂ったでしょうけど、男闘呼組も出さなきゃいけないし、大沢内海の新グループも考えなきゃいけないし、何より少年隊を出さなきゃいけない
流石に僕だってそれはわかってますけど、そんなのはジャニーさんならどうにでもできるのでなんの心配もしてませんでした

それより僕は僕のプランが狂わないようにするのに必死でした
めちゃくちゃ美味しいヤンヤンドラマが最終回を迎え、すぐ次のヤンヤンドラマも継続で出ることになっていて、台本ももらっている状況でしたから

もう一つ、撮影やりながら全国回ってると100%高校は卒業できない
当時は高校なんて出なくていいというのが事務所の風潮だったので、僕はそこにも抵抗し、何としても高校は出たい、あわよくば大学も夜間でも通信でも出たいと思っていましたから
もう今の時点で出席ギリギリの状態だったので悩んでいたのです

その全てを解決する方法が、全国ツアーを他のジュニアに譲る、ということだったのです

たらればですが、この気持ちを丁寧にジャニーさんに電話でなく、何回か合宿所に出向いて話し合うべきでしたね。でもこんなのは「たられば」です

僕たちのせいだけで忍者のデビューが遅れたとは全く思ってません
それは本人たちの問題ですから。気持ちは話してありましたし彼らも賛同してくれてましたから

僕はジャニーズ以外で芸能活動をする気は全くなかったので、すぐ進学に舵を切り、社会人で色々経験し、今は楽しくクリエイターをのんびり楽しんでいます
今の妻とも出会えましたし、なんの後悔もありません

まあ副産物として、忍者はデビューまでに5年訓練をつめたのです
そりゃあのメンバーならあのくらい踊れて当然でしょう

光GENJIを含めて、芸能界なんてやってみなけりゃわかりません
売れるとわかるなら誰でもやります
だから自分で考えてジャニーさんのノウハウと擦り合わせて「自分」というユニークを生み出そうとみんな必死なのですから

バカタレ!田口!

辞めたからっていいって訳じゃないですよね。

先輩として皆様にお詫び申し上げます。

クソ野郎。

お待たせ!令和一発目!

代替わりおめでとうございます!

令和もよろしくお願いいたします!いろいろ忙しくしてますが…まだまだ止めるな!


新時代らしく、山Pがグラマーになりましたね!ウェイボーはやってましたけど

ジャニーズファンも、最近はマナーが取りざたされてます

NGTの二の舞はダメだよ!

ルール守って応援しましょう!

これからもよろしくです〜〜〜〜〜〜〜

平成最後の記事!

う〜んお久しぶりです!

引越しも終わり、素晴らしい仕事部屋ができました!

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平成のジャニーズは本当に大きくなり、良くないこともありましたけどそれよりもずっとずっといいタレントがたくさん出てきて大活躍してくれています!

令和の時代も、引き続きジャニーズを見ていきたいと思います!

みなさんと一緒に!

山Pの明治大学卒業式スピーチで思った事

まず、内容が素晴らしかったですね!

そしてお気づきでしたか?

あれは、僕が常日頃ジャニーズたる者の王道の考え方だということを

「選択肢が複数あったら一番困難なことに挑戦する」
「それで成功しなくても後悔しない」

この言葉こそ、本当にそうやって生きてきたから大勢の前で出せた言葉です


もう一つ感じたことがあります

山P、櫻井くんを含め、ハイレベルの大学を卒業しているタレントがとても増えました

ご存知の通り、ボクらの時代は学業は二の次でした

しかし明大中野に受け皿が耐えられなくなり、堀越などに分散してきたこと、ジャニーさんの学業優先へのシフトなどにより、頭のいいタレントは学業を両立させる事に相当な苦労をしました

僕も立教でしたが、東京六大学を卒業するのは並大抵のことではありません

通うことすらままならず、周囲に迷惑もかけられず、勉強する時間もない

タレントだから特別扱いしてくれる大学ではありません

まして山Pは商学部なのに上級英語を学んでいた(高校の英語教師並みに難易度は高いです)

ビジネスや経営も学び、英語もペラペラ

当然アメリカ進出視野に入れるはずですよ

櫻井くんは、ご父君の地位もあり、ニュースキャスターとしてジャニーズでは先頭にいたいと思ってるでしょう

失礼ながら、これをお読みの皆様には異次元の事をアイドルやりながらやっているのです

もちろん学問が出来る必要はありませんが、芸能人として探究心と追求心は絶対に必要です

それをジャニーさんは子供の頃から教えてくれたのです

困難な道を選べる男になれ!と

ブログのTwitterのリンク先が変わりました!

@IshimaruShimon
というのが新しいリンク先です!🤗

これまでのはジャニーズと全く関係ない話題専用にしますので、新しいアカウントをぜひ皆さんフォローしてくださいね!フォローバックもさせていただきます😇

よろしくお願いしま〜す!
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プロフィール

石丸志門

1967年9月5日生まれ O型

元ジャニーズJr.
主なレギュラー活動履歴:

テレビ
TBS「年頃家族」
テレ東「ヤンヤン歌うスタジオ」

ツアー
少年隊全国ツアー帯同

50歳を機にビジネスマンを辞めました!
僕はやっぱりクリエイター。アーティスト。

引退後は大学、留学、教員免許取得、会社勤めなどふらふらしていましたが、ようやくジャニーズに次ぐ生き方を見つけられた感じで努力中です!

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